わたしのカメラ三昧 第5回「KOWA Model E」

KOWA Model E

 コーワと言えば,コルゲンコーワやウナコーワ,キャベジンコーワを連想する人がいるだろう。
コーワは興和。かつては薬のほかカメラをも作っていた。いや,正確には興和は総合製造業者であって,製薬はその一部門に過ぎなかったようだ。(詳しいことは知らない。)
そのコーワのレンズシャッター式一眼レフを手に入れた。インターネットオークションであったが,意外に安く手に入った。完動品というほどではないが,一応動作し,レンズキャップ,速写ケースもついている。まずはその外観をご覧いただきたい。写真1と写真2 はカメラ本体であり,写真3 はケースである。ケースはかなり疲れている。

写真1.コーワE 外観(正面から)

 オークションで出品者が記載していたとおり,レンズに曇りがあった。さっそく,鏡胴部分の前から分解してレンズを取り出し無水アルコールで洗浄した。すぐに綺麗になった。ファインダーにも若干のごみが認められたが,こちらは我慢することにした。
インターネットで仕様を調べた。しかし,このカメラに関しては情報が極端に少なかった。調べた結果に自分なりの判断を加えてまとめた仕様を以下に示す。
(1)型式: レンズシャッター式一眼レフカメラ
(2)レンズ: コーワ50mm F2
(3)適合フィルム: 135 フィルム
(4)シャッター: セイコーシャSLV
(5)シャッター速度: B,1~1/500 秒
(6)ファインダー: 一眼式
(7)焦点調節: 手動
(8)露光調節: 手動(セレン式露出計内蔵)
(9)フィルム送り: レバー巻上げ、クランク巻き戻し
(10)大きさ: 実測140W×95H×90D(50mm レンズを含む)
(11)質量: 実測920g
(12)発売年月: 1961(昭和36)年(?),1962(昭和37)年(?)
(13)価格: 25,800 円(Kowaflex-E)


写真2.コーワE 外観(斜め前から)

 このカメラはコーワフレックスE を改称したものらしい。コーワフレックスE を前期型,コーワE を
後期型と呼んでいるようだ。特に強調しなかったが,このカメラはレンズ交換ができない。レンズシャッター式であるからである。レンズシャッター式だから絶対にレンズ交換が不可能という訳ではないが,実際レンズ交換には適していないのである。では,一眼レフの一般的な良さ・特徴・利点は何だろうか?

わたしは大きく次の2 点だと思っている。
(1)パララックスが生じない。
(2)レンズ交換が容易にできる。レンズ交換に適している。

パララックスは「視差」と訳されているが,要するにファインダーから覗いた画面と実際にフィルムに記録される画面とに差が生じることである。一眼レフ以外のカメラをご覧になればわかるであろうが,ファインダーから覗く窓とフィルムに光を通す窓(レンズ)とは別々の場所にある。したがって,そこに差が生じるのは原理的に避けられない。この点,一眼レフはレンズを通ってきた光景を鏡で反射(レフレックス)して見ているので原理的に差異が生じない。
 また,上記のことから推測すれば,一眼レフ以外のカメラで焦点距離の異なるレンズに交換すればファインダーで見える範囲と実際にフィルムに到達する範囲とが異なることは容易に納得できるであろう。つまり,これは視差以上の大きな問題である。
もう少し細かいことを言うと,レンズを交換するときに,いま装着されているレンズをはずすとフィルムが直接外部の光に曝されることになり,フィルムは直ちに感光してしまう。(正確にはこの点はシャッターの機構に依存する。一眼レフでなくても,レンズをはずしたときにフィルムを遮光する機構になっていれば問題ない。たとえば,キャノンのレンジファインダー4Sb などはフォーカルプレーンシャッターを採用してこの問題を回避している。)

写真3.速写ケース

 さて,シャッターは切れるし,レンズも綺麗になった。では,露出計はどうだろう?カメラを構え,光源に向けて絞りを回しても針が動かない。「残念,セレンは死んでいる」と思いきや,時々動く。いろいろ調べると針の動きが滑らかでないことがわかった。多分埃か,あるいは油の固着で動きが悪くなっているのであろう。改善するには軍艦部を開けなければならない。
 わたしはいつもこの段階で躊躇する。開けて手入れしなければ使い物にならないのなら開けるが,何とか我慢できるのならそっとしておきたい。なぜなら軍艦部の分解は時として原状回復不能となることがあるからである。第一,逆ネジが使われていることがある。最初から分かっていれば問題ないが,そうでなければねじ切ってしまう。「ハイ,それま~で~よ~」となる。
また,わたしは専用の工具を持っていない。そのため,時として傷つけることがある。カメラは美しくなければならない。傷など絶対に許せない。
写真1で,レンズの上にあるガラス窓のような部分にセレン光電池が内蔵されている。光が当たると電気が発生し,その電圧は光の強さに比例する。その電気で指針を動かしているのである。電池を使わないから省エネでいいのだが,測光範囲が狭いので使われなくなった。
さて,その内蔵露出計だが,手持ちの露出計とわたしの勘ピュータで照合した結果,その指針の振れは正しいようである。ただ動きが悪いのでしばしばカメラをコチンと叩いてやらなければならない。ガリバー旅行記を思い出した。

では,写りはどうだろうか?試写しなければならない。
そのためにはフィルムを装填しなければならない。新しいフィルムはもったいないので今使っているカメラから抜き取って詰め替えた。

試写した作品をいくつか紹介しよう。
写真4 の中央の建物は北九州市警察部と小倉北警察署の建物である。右手に白けて写っているのは思永(しえい)中学校と温水プールだろう。

写真4.北九州市警察部・小倉北警察署

 どうもこの白けが気になる。フィルムをスキャナでデジタルデータ化しているためではなかろうか?余談になるが,現在ではフィルムカメラで撮った写真もスキャナでデジタル化し,それをプリンタでプリントしているのである。だから,フィルム写真とは言っても印画紙に光を当てて焼き付けているのではない。ネガは単にアナログ(写真)データを格納しているメディアにしか過ぎない。だから,くどいようだが,今では普通にプリントする限り,フィルムカメラもデジタルカメラも仕上がりにはかわりがないのである。
どうもレンズがよくないようである。専門家でないから適切な言葉が見つからないが,ビシッと決まっていないのである。そうかと言って,ソフトフォーカスでもない。まあ,40~50 年前のレンズだからこんなものだろう。

写真5.九重長者原の駐車場

 その後,九重に行く機会があって,カメラを携行した。写真5 は夜明け間もない時刻に撮ったものである。たしか絞りは全開(f2.8)でシャッター速度は30分の1 秒だった。(暗くて鏡胴部の数字が読みづらかった。)三脚を使わないで撮る限界を超えていたが何とか写っている。しかし,車両番号は読めない。駐車場から2 時間足らずで坊ガツルに着いた。写真6をご覧いただきたい。正面に聳えているのは白口岳である。今回初めて登った。ススキの原の一番奥辺りが法華院温泉。坊ガツルは芹洋子が歌う「坊ガツル賛歌」で一躍有名になったのでご存知の方もいよう。
九重には紅葉を期待したのであったが,期待はずれであった。しかし,九州ではこの程度であろう。東北地方には叶わない。

写真6.坊ガツルから法華院・白口岳を望む

最後に一言再び余談を。
若い人に「コルゲンコーワ」と言っても通じなかった。「ウナコーワ」と言うと,知っているようであ
った。時代・世代は確実に変わっている。ところで,この記事を書きながら,ウナコーワのウナは電報用語のウナではないかと思った。今では死語になっているが,ウナは「速達」とか「急げ」とかを意味する電報用語であった。つまり,ウナコーワはすぐに良くなる薬という願いが込められていたのではなかろうか?

では,コルゲンは何だろう?

■2011 年12 月21 日 木下亀吉

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